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2015.08.19

環境の緩やかな繋がり方への考察  序章:人的環境の呪縛~パラパラチャーハン?~

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多くの園に何度となく通わせていただく機会がある中で…ふと気づいた事がある。…

 

“行く度に園庭で子どもが遊んでいる姿を見れる園がなかなか無い”という事…

 

保育の中では、まだまだ園庭がサブ的な環境として捉えられているからなのかも知れないが、それを嘆いていても仕方がない。

同時に、だからと言って、いきなり園庭についてだけで話が展開されていっても「保育室保育」に対しての「園庭保育」と言った様に、せっかくの保育環境がそれぞれ分断された状況の中で話が展開してしまい、それぞれが一人歩きしていく様では“環境による保育”を考えていく上で意味がない。

そこで、いささか強引ではあるが…

一つの仮説として園庭で子どもが遊んでいる姿を常に見る事が出来ない理由を

「室内環境」に対する「屋外環境」と言った様に“保育環境を分けて考えている事にある”

とすることにしよう!と思う。
現状でも、多くの園からよく耳にする言葉でもある「うちはまだ保育室もままならない状況だから園庭はその後で…」と言った言葉。

この言葉からも室内環境と園庭環境はそれぞれが分断された環境として語られている事がわかる。

(ここを一緒くたに考えたい!そうすれば、また違ったカタチの保育が見えてくるかも知れない。)
さて話を元に戻そう!
仮に園庭で子どもが遊んでいる姿を常に見る事が出来ない理由が保育環境を分けて考えている事にあるとするならば、これらの環境を緩やかに繋げていく方法を考えていきたいものである。

 

「いやいや、ちょっと待って!…今は保育室環境での保育もままならない状況だってさっきも言ったでしょう!」と、お叱りの声も聞こえてくるのですが…(汗)

 

 

●…もし仮に、保育環境でままならぬ理由が人的環境にあるとするならば、、、

現状、多くの園での保育する環境はどうなっているのだろう?保育室保育挿絵

人的環境の多くの在り方は担任制または複数担任制である事が現状では大半を占めると思われる。

環境保育挿絵

もし、複数担任制が実践できるのであれば…フリーの保育者をおくことがキーパーソンとなるに違いない。

 

( こんな風に、保育環境の中で環境と環境同士を繋ぎ会わせるドアがまだまだあるんじゃないか?それをちょっとづつでも見つけていこうと考えている。)

 

そして、今回の様に人的環境も含めたこの場所の特性·物的(ハード)環境、園全体敷地全体としての保育環境の在り方を総合的に考えていくことが、これからの保育環境にとって何より大切となってくるであろうと考えている。

 

今回はその序章として、まだまだ、着地点も見つからぬままにただただ書きながら論を練りあげていっている状況である。

これから、徐々に、環境を総合的に捉えたその場にしかない保育論について考えをまとめていきたいと画策しながら…ここで徒然なるままに。。。

(あれこれ話、ということでお許しを…。。。)

 

 

さて、最後に【何故?園庭で子どもが遊んでいる姿を常に見れる事を良いと思うのか?】

 

さて、そもそも論となってしまうが…何故?園庭で子どもが遊んでいる姿を常に見れる事を良いと思うのか?を話していなかった気がするので、、、(話す順番の前後関係が逆転している様にも思えるが、)ここで話をしておこうと思う。

 

※ここでは筆者の勝手な推測あるいは、思い込みによる定義付けを行っていることを前もって断わっておく。

 

「園庭で子どもが遊んでいる姿を常に見れる」

=子どもが自分の意志で環境を選び取っている状況下にある。

=子どもに選択権がある。

=子ども主体で時間に制約されていない保育環境が構築されている。

 

といささか強引に、かつまた、そうあって欲しいという願いも含めて定義づけを行っているため、偏った流れを作り出している事はご理解いただきたい。

しかしながら…行く度に園庭で子どもが遊んでいる姿を見れる園では、とにかく子ども主体で動く保育がなされていて、子ども達も保育者も、例えて言うなれば、人的環境の全てがチャーハンで言うところの「ご飯がパラパラした状態にある環境」が見てとれる。

子どもも保育者も自立しているとも言うべきなんですかね?(保育者はチームとして総合的に自立していると言うべきか? 一人一人は他園で会う保育者とあまり変わらないんですけど…バランスが取れているというべきなのか?)
一方で…は、人的環境の多くにベチャベチャチャーハンの要素が垣間みれるのは言うまでもなく…
では、また…ゆっくり、少しずつこの話をまとめていきます。

 

 

 

※この論の対象はひとまずのところ、幼児を対象とする。

※この論は筆者の主観的な考えに基づいている。