環境が物語を紡ぐ
環境が物語を紡ぐ
(このレポートは2014年に日々の生活を見学研修させていただい
た際に書いたレポートである。)
●〜意図を持った園庭〜
「ねぇ~なんでさぁ~…。」
日々、繰り返される「なんで?」
(大人も子どもも環境も…)
日常生活の中の「なんで?」に触れることで 「園庭で何を育むのか?」という意図を持った園庭づくりに、僕らなりの解答を少しでも見つけ出す事ができたら…という考えから、見学研修をさせていただいた。
園庭に設えられた施設のダイナミックさからこの保育園は「園庭」のみがクローズアップされがちである。
僕らも、この研修を最初のうちは「園庭保育研修」と呼んでいた。しかしながら、研修中盤から、僕らはこの研修を「園庭保育研修」ではなく「環境保育研修」と呼ぶことにした。
「ここの保育は内も外も全てがリンクしている。」
お部屋があって園庭があるわけではない!園庭があってお部屋があるわけでもない!園庭もお部屋もなくてはならない。敷地全体が、周辺が、地域が、人が、仲間がいて、ここでの保育は成立している。
「環境」とは「ある主体に対するその外囲」(岩波生物学辞典 第2版)とある。
この時、主体とは誰か?その主体の外囲としての「環境」とはどうあるべきなのだろうか?
「環境」としてあるべき保育の姿の生を体験する事がこの研修でのねらいである。
●「…「選びとれ!」
・子どもたちは竹馬選びをしている。
園庭の真ん中に切ってきた竹を並べて、それを選ぶ。
節が少なくとも、下から4段は揃っている事選ぶ時のポイントなのだそうだ。→節に足場の支えがくる事がその理由である。
事前に園長が竹馬作りを一通り、実践してみせている。それに応じて、その後は、子どもたち一人ひとりが友達にお教えてもらったりしながら作っていくのだそうだ。
足場自体も、子どもたちで長さをきり、ねじをまわして作っていくのだそうだ。
一方では、たき火のそばで刀作りをしている。
「園長がつくるものは格好よくなくてはならない」それと同時に「作っている姿を子ども達に見せつける」そして「頃合いを見計らった上でその場から離れる」事が大切な事だと…
ある日のこと…3才児でも肥後守(ナイフ)を使えるようにするかどうか先生方の間で議論がおこったとのこと。
年齢で区切るのではなく、子どもの能力を見て、やれる力のある子にはやるチャンスを与えるべき。
先生が見守れないという理由で子どもが育とうとするチャンスをつぶすべきではない。という考えから、園長がいるときには、3才児でも使えることに。
【要点!】
※能力が育っている子の育みを止めるべきではない!
※選ぶのは子どもの育ちか?それとも管理する能力か?
●「選びとれ!」
礼拝後、園長から子ども達に聞く…
「部屋片付けを取るか?外での遊びを取るのか?」
…その答えにどちらが良いはない。どちらを選んでも良い…との事
【要点!】
※一人一人には違いがある。
※一人一人に対応できる選択肢の数々を用意する。
※そして、自分で決めたことを良し!とする。
※園長のつぶやき…「大人が介入しない世界は美しい」
●…生活の中での小川の役割
…3時になり、バスで帰る子は帰っていき、同じくらいのタイミングで、園庭中に散らばっていた砂遊びの道具洗いが小川ではじまる。
先導する先生によって毎回ルールを決めるが、だいたい、年齢別によって、今日は5個!とか多いから7個!とか声をかける。
道具洗いをする前に、先生が買い物かご(スーパー等の)にさまざまな砂場に散っている遊び道具を入れて、小川の近くまで集めておく。
洗い終わったものは、それぞれ子どもたちが園庭の収納棚まで持っていき、分類しておいていく。
その場には先生もつき、分類の難しいものや、重ねるのが難しいものは、手伝いながら片付けていく。
僕らは…生活の中にある小川の意味を知ることになる…今まで僕等が提案してきた川流れとの生活の中での活用の違いを知る
●「園の文化」
8時半に園庭入り、
先生方が、砂場の土を掘り返したり、降った雪の流す水路のような形で溝をほったり、落ち葉をはいたりして遊び始めの準備をしている。(環境を準備する)
今日は、4才児が午前中にスケート教室にいくとのことで、そこに同行させていただくことに。
スケート教室は、年間7回くらいいっているらしい。(各クラス)
行った先では父母が先回りをしていて、荷物の上げ下ろしなど色々な準備をしている。
子どもがあそぶことに対して、大人がどこまで準備をできるかということが何より重要なことであると感じさせられる。
少し自由に滑ったあとは、歩く練習、転ぶ練習からはじまり、アイスホッケーのスティックを持ってすべる練習をする。転ぶことで自分で自分の身を守ることの意味を身体で知るとともに、恐怖心を取り除く。
恐怖心を取り除くことで自然体の滑りができるようになる。(…何事にもまずは失敗することの大切さ、失敗することで得られることもある事を伝えている様でもあった。…)
卒園生でアイスホッケーの選手である中学3年生が見本を見せる。身近に本物の見本を生でみれるのは、とても大切なことと感じた。
習熟度別でグループを分けて練習を続ける。グループの分け方は全力で走らせて、その速度でゆるく分けていく。結果、その時の身体能力に応じたグループが自然に出来てくる。
●「ひとりひとりの想いがカタチに」
…色とりどりの羽を自分で切り出し、マントの形の布にのりでくっつけていく。
オオルリはどんな羽の色をしているのか?決して同じ色でなくてもよい。自分たちが感じたように…でも本物が、見本が「ある。」という環境づくり。
部屋内では、音楽会で使う羽作りが最盛期を迎えていた。
「全てのことに起承転結が必要なんだよ!」これまで何度となく園長から聞かされていた言葉である。
このはじまり(起)は動物園に行くところからはじまっているそうだ。
皆で動物園を見学をし、本物を感じ興味を持つ。1年かけてずっと行動を共にしてきた仲間で話し合い、どの鳥にするか決める。
園庭のデッキにはさりげなく鳥に関する本がたくさん揃えられ、手に取るように自然に興味がもてるようになっている。
オペレッタ「鳥の王様コンテスト」という一つのミュージカルとも言うべき物語を日々の生活の中でも実経験できる環境を用意していた。
更にまた、年間を通して、部屋の前には鳥の飾りがおかれており、日々の生活のなかで鳥が身近に感じられるようになっている。
※環境的な設えを徹底化させる
鳥の羽にはどのような色があるか、図鑑をみたり、カラーサンプルをみたりして、鳥ごとに羽に使う色を決めていく。(6色ほど)
それぞれの色の画用紙を、1枚1枚羽のかたちに切り抜き、貼っていく。
切り抜き方も羽毛を表現しようとこまかく刻みを入れる子や、こだわりがすぎて羽の芯まで切り抜いている子もいる。貼り方も、ちょっと折ってとても立体的なかんじにしたり、首のところを白くしてみたり、様々な色を実にセンスよく配列したり、絶妙な差し色をいれたりと、子ども1人1人により全く違う羽が出来上がっていく。
一人一人違うことが良い!
※園長いわく、音楽会当日が完全な完成形でなくていい。上手によくできることが重要なわけではない。途中であっても、その状態が大切であると…。
●「はっ」とさせられた日
この日は比較的静かな一日のはじまりであった。
年少は市民の森公園に薪を取りに行っている。
(音楽会にむけての通し練習をするための空間の交換が行われたようにも思えた)
この日は主任先生・年長担当の先生が主に園庭で見守りをしている。
この保育園の特徴とも言えるかもれない保育士同士の持ち場のスウィッチが繰り返される。
乳児が音楽会の練習をしている間は年長担当の先生が園庭に…やがて主任先生がおりてくると今度は、年長担当の先生が部屋に行き、もう一人の年長担当の先生がサポートに入る。といったように…代わる代わる持ち場が変わり役割がかわっていく。その中で、主任先生がふと漏らした言葉があった「今日は遊びがフワフワしている」「なんか遊びこめていないというか?」つぶやきにも似た話方であったが、思わず僕等は目を合わせて主任先生に質問しに行った。「遊びがフワフワしているって?どういうことなのでしょう?」正直に僕等にはその感覚は見えていなかった。なんとも難しい感覚で、日々の日常を子ども達と一緒に生活している主任先生だからこそ感じ得られた感覚なのか?僕等にもそのセンスが欲しいと思った。
主任先生は話を続けてくれた。「決してフワフワしているのは悪いことではない」と…
この日は足下から寒さが伝ってくる日であった。
僕等を気づかってくださった主任先生が温かいお茶を入れてくれるとともに少し話をしてくださった。
「私は感覚的だから…理論で説明しようとしてしきれないことの方が多いのだけど…。」
※「保育って言葉では言い表せないもので、全てがリンクしている。」
「例えば音楽会でも動物園を見にいくことからはじめて、1つのイベントではあるけど、それは全て生活の中にリンクするような保育であるべきで…※その瞬間瞬間だけを切り取っても意味がない。」
※「保育士は子どもを育てているわけでも導いているわけでもない。
※子ども自身が「自分で育っていく!」ってことが何より大切で、
※「気持ちに折り合いをつけたり、乗り越えたりすることは子ども一人ひとり、本人にしかできない」事であって、
※「保育者にできることなんてほぼない!」…それぐらいの謙虚さが保育者には必要だと思う。
※「保育者は親には絶対代われない!」「私は親ではない!」
「お母さんと別れて泣いている子を抱きしめてあげるのは簡単だけど、それは母と離れた喪失感を埋められたことにはならないし、例え寄り添うことは出来ても、※その感情を満足させることはできないと思っていて、それよりむしろ、※泣きたい子は心ゆくまで泣かせておくことが大切だと思っているの。」あと、「子どもとの信頼関係は※接触の多さで培われるものではない!本当に切羽詰まった時に子どもが助けを求めるのはいつもかまってくれる先生ではなく、怖いような感じだけど、いつも見守ってくれている先生だったりする…」「うちの先生達は無愛想な人が多いと外からは見られているけど…全ての集中は子ども達に向けられているから、来園者に媚をうったり愛想をよくしたりしないし、自分に何が欠けているかも知っているからこそ謙虚な人が多いし、誰よりも人間味があると思っている」などなど
僕等は園長先生がこれまで伝えてくださっていた事の意味がこの主任先生の言葉によって、よりリアルに、そして園長が伝えてくださっていたことをこれまで以上に反芻することとなった。
※「つくりすぎない事の意味」
※「大人が介入しない事の大切さ」
●音楽会前日
この日は午後から保育園に…
音楽会前日ともあり、リハーサル色が強い。
部屋では明日の音楽会で歌うミックスジュースを実際につくっている。
ミックスジュースという歌を歌うためにはミックスジュースを知らなくてならない。
ミックスジュースを嫌いな仲間もいる事を知るために、先生が自ら鼻をつまみながら飲む(この先生は、ミックスジュースが苦手なのだそうだ)
※いろんな感じ方があって良い!ミックスジュースが好きな子もいれば、嫌いな子もいる。
それを知っていることが大切なんだと…
また別の部屋では、担当の先生から音楽会当日に来られない仲間の事をも何で来られないのか?も含めて、しっかり仲間達に伝えている。
リハーサルでは、まずは子ども達に「どうだった?どう思う?」をしっかり問い、先生達自身も自分が思ったことを仲間に伝えあう。子どもだからと言ってごまかして伝えるのではない!
※「仲間」として、対等に話をする。
仲間を結びつける担当先生の言葉
…この音楽会は音楽会当日が「結」ではない様だ。
「結」とはこれまで「結論」であり「結果」を意味する言葉としてとらえていた。
しかし、この保育園の「結」とは結果ではない。
「結び」であり「つなげる」意味での「結」であったように思う。
「明日は鳥になろう!」と明日へと結んだ主任の言葉が心に残った!
音楽会当日。
オペレッタ「鳥の王様コンテスト」では、彼らは羽ばたいた!
観衆を圧倒させる羽ばたき!思わず親達の「おうっ」と驚きの声!
ひとりひとりが姿カタチを変えていっている。大きな声でそれぞれの個性が羽化してしていった様な「転」じがここにあった。
親達は音楽会当日しかみる事がない物語。音楽会の「結」は音楽会当日ではない。
これからまだ先に「結び」としての「結」がありそうである。
●ここでの保育を「環境が物語を紡ぐ」保育と表現をした。
園長先生が何度となく口にしてきた「起承転結」の必要性。
園のクラス名に絵本のタイトルが使われている事の意味。
そして…園庭に立ち並ぶダイナミックな遊具の数々。
なぜ?これだけ難度が高い遊具が立ち並ぶのか?
絵本の中での物語に共通する主人公の「葛藤」。主人公の気持ちを実経験として毎日の生活の中にリンクさせる「園庭」がここにはあるのかもしれない…と、