園庭探訪記
先日、2017年に弊社で園庭のデザインを担当させて頂いた園に久しぶりに伺わせていただきました。
以前の園庭から7年が経ち、先生方の意識と共に保育が変わり、当時植えた木々も成長し、林の様になった園庭を前にしながら、現場の先生と立ち話をする中で、この園庭となった事での「環境がもたらす育み」についてのエピソードが、めちゃくちゃ私にとっては良い学びとなりました。
それまでの園庭は、ほぼ真っ平らな状況だったのですが、
園庭改修を期に先生方の子どもの頃の話やこんな環境にしたいと言う想いなどの意見を聞きながら、意図的な起伏や立体的な環境づくりを随所に取り入れるながら、一方で、自然環境も多く取り入れ、あたかも林の中にいる様な遊び環境となる事を意図として全体を取りまとめた園庭となっています。
これまでとは環境が変わり、子どもの遊び方が変わり、保育の仕方が変わり、くらしが変わり、やがて保育者も子どもも、それぞれに環境に慣れ、適応力が育まれ、月日とともに保育がしなやかになっていき、7年と言う月日が経った現在となり、この環境だからこそ、子どもの育みを随所で感じられると…
その話全てが、ほんとはここでも全て書き記して行きたい内容のお話ばかりだったのですが、、
最近、色々な園でもよく聞く「発語の遅れ」気味の子の話を一部…
まず、発語が遅れ気味の子はどの園でもいるとは思います。この園にも、当時、他の子よりは明らかに発語が遅れていた子がいて、初めて発した言葉が「ハッパ」だったとの事。彼の中では「ハッパ」と発している言葉は「葉っぱ」である事には間違いないのだけど、彼が好きなのは黄色い「ハッパ」であり、他の葉っぱとは意味あいが違う「ハッパ♫」であって、それでも発語上では「ハッパ」であって…そうでありながらも、この子が発している「ハッパ」には、「木の枝についている葉っぱ」や「地面に落ちている葉っぱ」といった様に、それぞれに違いがあり、それぞれ違う事を表す為の「ハッパ!」や「ハッパ♫」「ハッパ〜」と言う意思表示にも違いがあって、「ハッパ」と言う同じ発声の言葉であっても、一つとして同じモノはない事をしっかりと不思議がり、じっくりと観察して、身体の中で経験として宿し、彼の中ではしっかりその違いを表現していて…そんな姿を見守りながら、彼自身が今ちゃんと育っている事に気づき彼の傍らで感じ取れると言う上でも、今この園庭環境があればこそだと思うと…現場の先生は言ってくださるのですが、、
発語は単なる「ハッパ」かもしれないけれど、そのニュアンスの違いを彼の傍らで、それをわかっている大人がちゃんと居るっていう事がこの園の環境としての豊かさでもある様に私は思うのです。
これまで他園でも発語の遅れのある子の話は聞いてきたし、実際に子育て中に不安を抱えながら子育てしている家庭にも多々出会ってきた中で、私は「たぶん…それでも子どもは育つ力を元々持っているものだから、大丈夫!、、」と、根拠はないながら勇気づけたりもしてきたのだけれども、、
今回この話を現場の先生から聞き、具体例とともに何かを掴んだ気にもなり、自分自身にも勇気を貰えたような気持ちになったのでした。
「やっぱり幼児期に必要なのは環境よね!」更にあえて付け加えて言うのであれば、、
「人を含めた環境よね!」と、
時間が経ったこの園庭を見ながら、思った次第でした。