育む環境の言葉04 〜環境としての大人〜
子ども達からしてみれば、大人も「環境」です。
「環境としての大人の在り方。」
が、これからとても重要な環境要素として問われてくるであろうと考えています。
…とある園での事。
…渡り鳥の群れが園庭上空を横切った瞬間…子ども達から少し距離を置いて、園庭の木々の落ち葉を掃きながら(意図的にであろうか?)見守っていた保育士が園庭の中央の丘に向かって走り出し…何をするのかと思い気や…すぐさまその丘に寝転び、その渡り鳥を指差しはじめました。その状況を察し、保育士の後を追いかける様に、寝転び、空の渡り鳥を眺めている数人の子ども達を見て…私は思わず、センスあるなぁ〜!と呟いていました。
この保育士は、まず、状況に臨機応変に対応している事、と、環境を楽しめる場所を知っていると思えた事。そして、良いと思えることを迷うことなく身体で表現し伝えることができ、しかも、子ども達にとっての豊かな時間を引き出すタイミング、を図っていたかの如く、気配を表したり消したりすることが、とにかく絶妙であった事に感心するより他ありませんでした。
大人であるがゆえに、環境であるがゆえに、子どもとの関わり方、間合いの取り方は、とても繊細で重要な事であると…感じています。
ある園からは、遊びはじめは、しっかりと関わり、頃合いを見計らいながら環境として気配を消す。気配を消すことで子ども自身が遊びと向き合い、子ども同士の関係がより濃密なものになり、子どもを子ども時間の中に返すことにつながることを学びました。
そういった意味でも、この保育士の行動は「環境」という役を演じきれていた様に思います。
生活を共にする大「人」が持つ価値観は子どもの育みに少なからず影響を与えています。
そういう意味で大「人」も「環境」であると言えるのでしょう。
子どもが自分自身で育む環境である為に「環境としての大人の在り方」は如何にあるべきなのか?
かつて「親の背を見て子は育つ」と言われていた様に…
「環境」として自分の何を、子ども達に伝えることができるのか?また、自分の何を魅せることができるのか?
自分達が良いと思える感覚や価値観を…
自分自身や自分が育ってきた環境を再認識する意味でも、もう一度、園の中で、環境としての大人について話合ってみませんか?
スタッフひとりひとりが違った価値観を持っていて当然です。
ひとりひとりの違った価値観を園として無理にまとめ上げる必要もないとも思います。
まずは、違う価値観を知る事から…
やがては、違いを活かし合える「環境」に!
例え、ネガティブな価値観も、視点を変えればポジティブに変えることは必ず出来ます。
ひとりひとりのスタッフの良いところを引き出し合いながら、個性的でこの場所にしかないセンスある環境に導き出していってほしいと考えています。
スタッフひとりひとりの想いがつくる育みの環境を…ひとりひとりがセンスを持ってつくりだしていってほしいです。
私たちもその環境的なセンスの育みに加わらせていただきたいと考えています。