「うちの子、発達が遅れているみたいなの…」 そう悩まれているお母さんの話を最近よく聞く。 余りにもあちこちで、この話を聞く様になってきているので、ちょっと疑問に思う様になった。 「遅れている(かもしれない)…」と評価して言っている方は、誰の何と比べて言っているのだろうか? おそらくは発達の段階についてちゃんと勉強されてきた方で、一般的に言われている育ちと比べて…と言う内容で助言されているのであろう。 …だがしかし、ここに疑問が残るのだ。 杓子定規にこれまでの事例から、この年齢ではこうでないと…と、教科書やマニュアルで習ってきた事ばかりが先行し過ぎていないだろうか?(もちろんピアジェが言う様に、発達には個人差はあるものの、この成長順序は普遍的であると言う事は理解している。) しかしながら、時代も変化してきている。 例えばコロナ禍前とコロナ禍後でも違いはある様にも思う。(実際、現場で保育されている先生方は、この事をリアルに感じ取れているのではないだろうか?) 又、周囲の環境によっても成長の度合いは違ってくる。 その子が生まれた年代・社会情勢によっても大きく変わる。 多分、助言されたその方も発達は一人一人違いがある事もちゃんと伝えているのだろうとは思うのだけど… …「うちの子遅れている」… そう言われた言葉のみが一人歩きして、強烈な印象として残ってしまっている様にも思う。 言われた側にとっては、あまりにショックで、その時に一緒に伝えられたであろう「個々に違いがある」という話は、おそらく何処かに、吹っ飛んでしまい無きものとされてしまったのであろう状況が容易に想像できる。 【相対評価は遅れている】 この事から考えても、幼児期までの子を持つ親に対して、相対的な育ちの評価をする必要がどれほど必要なのだろうかと思ったりもする。 ましてや、言ってしまえば相対評価の基準値の方が既に時代遅れとなってはいやしないだろうかとさえ思うのだ。 相対評価はあくまで、他との比較であって、多くが「過去」のデータに基づいた平均の値と「今」目の前の事象とを対比しただけに過ぎない。 唐突ではあるが、私は今年で53歳となる。あともう少しでサザエさんに出てくる波平さん(54)と同じ年齢となる。 今、波平さん(=サザエさんのお父さん)の貫禄を兼ね備えた存在になれているかと問われると、残念ながら私自身まだまだである事は自認している。 又タレントの木村拓哉さん(元SMAP)もほぼ同年代である。 サザエさんの波平さんと木村拓哉さんが同じ年齢であるのかと思うと、些か驚愕でもある。 この様に一般的に見ても、サザエさんが初めて放映されたうん十年前の50代と、今の50代にはかなりな違いがある様に思えてきたりはしないだろうか。 話がだいぶ飛躍してしまったが、何が言いたかったかと言うと、50代の相対的な印象は既に数十年前と今とでは異なっている様に、人はたとえ同じ年齢でも年代によっても差があるばかりでなく、人それぞれに個体差も確実に存在しているという事が言いたかったのだ。 【発達段階の時間の更新が必要】 あまりに思い悩んでしまっている親の姿を目の当たりにする機会が増えてきている。 コロナ禍以後の育ちは、それ以前に比べると明らかに発達が遅れていると言い切っても良いかとすら思う。 現状、多くの場面で、この事は顕在化してきている状況にもあるのだろうと思われる。 「遅れている」…と言われたのは、もしかしたらコロナ禍以前の発達の段階に照らし合わせてみると、、という前提ありきの判断であったのではないだろうか? そう考えると、最近多く話を聞く様になった発達の遅れ問題は、今日的に見ると正常の範囲内なのかもしれないとすら思えてくるのだ。 更に、言えば(こちらは暴論に近い私の勝手な仮説であると思って読んで頂きたい)医学の発達によって人生100年時代となった。人生の中での発達段階の割合を相対的に捉えてみると、乳幼児期の段階的な割合も必然的に長くなり、うん十年前に比べて、ゆっくりとした発達段階を見せているとも考えられたりはしないだろうか。(人の進化の過程の中で表れた乳幼児期の割合時間の猶予が、今の「遅れ」に見えるだけの事象なのではないか…と言う私の個人的な持論である。) 【育ちを見つける眼を養う】 何はともあれ、幼児期から学童期初期の育ちにおいては「周りの育ちは気にしないで良い」と思うのだ。 実際、発達が遅れている(かもしれない)と言われたとしても、学童期、或いはその後からも爆発的に発達が促進される子は星の数ほど沢山いる。 もう一度言うが、個体差は確実にある。 …「昨日」よりも「今日」。 今、目の前にいるこの子は、昨日からどれだけ育ったのか。 視点の置き処を改め、新たな視点を持つ事で、ほかの子とは違ったその子の成長に気づく事が出来るはずである。 「今、目の前にいるお子さんは確実に成長している。」 この事だけは、はっきりと言えると思う。 「大丈夫!」 「今も、この子はこの子のスピードで成長しているのだ。」と その成長に気づける「眼」を育み、養う事。そして、今目の前の育ちに気づく「眼差し・視点」を持つこと。 そんな、この子ならではの「育ち」を探し当てていくことが親としての、何よりの大切な仕事なのかもしれない。 明けましておめでとうございます。 2026年は1月5日より始動いたします。 本年もどうぞよろしくお願い致します。 年賀状2026-01 遊具の最終の設計検査及び引き渡しをしてきました。 なかなかの高難度の登り方を設定した為、(さすがに50歳を超えると、足も上がらず…)設計検査も難航し、無事に検査(遊び)完了。 IMG_4452(大) その後、年長さんたちから折り紙で折った素敵な花束やメダル、お手紙をいただきました。 IMG_4470(大) 3月ギリギリの引き渡しと言う事もあり、卒園していく年長さんには最初の体験をしてもらいました。 登る一段目が背の高さと言う事もあって、高さへの恐怖心や緊張も相まって、なかなか登れない子もいる中、順番が後ろになっていくにつれて、登り方のイメージが出来ていったのか、最初の持ち手に飛び乗りその反動を利用して登っていく子や腕力を使って強引にでも登る子などなど、どんな登り方にせよ子どもたちが登る姿を目の当たりにする事ができ一安心しました。IMG_7348(大) 四月からはまだ登れない子が多くいる状況になるかと設計者は思っていますが、環境さえ用意すれば子どもは案外あっさりと登れてしまったりもするのかもしれません。 どんな姿を四月から見せてくれるのか、今から楽しみで仕方ありません♪ あ、そうそうお願いされていた看板も製作して行ったので、それぞれのコーナーに取り付けてもきました!IMG_4478(大)   看板製作風景IMG_6964(大)   IMG_7390(大)   IMG_7414(大) 園庭を変えたいけど、室内環境を変えたいけど、 研修に行って学んではきたものの、 自分の園では何から手をつけたらいいのか、どう変えたらいいのかも、はたまた、先生たちがそれぞれどう考えているかもわからない… 「この園だからこそ」 どんな園庭を目指すべきかを考える一歩をお手伝いします。 毎日生活している自分たちの園庭を具体的なプランニングを通じて先生たちとの意見を出し合う機会を提供します。 ゼロから意見を言うのは誰にでも難しいこと。 他の園での事ではなく、自分たちが生活する空間であればこそ、それは違う、あれも違う、でもこれは良いなどなどと意見が出しやすくなるのではないでしょうか? 言葉になっていなかった先生たちの思い、自分たちの保育について、改めて理解しあってみてはいかがでしょう。 その為の、一つのきっかけとしての園庭プランニングをまずは弊社から提供いたします。 それを元に、これはどう?こんなのはあり?これがダメなのはどういう理由?などなど、 漠然とした個々人の保育観の見つめ直しの為の材料として、私たちと園庭デザインプランニングを通じて一緒に考えていきましょう! IMG_6759(中)「この園だからこそ」 できること、やりたいことを言葉にしていく事で、初めて他人事から自分事へと、そして、「この園庭で何を育みたいのか」が、やがて「みんな事」となってくるのではないでしょうか? もちろんみんな事となっていくには時間もかかるかと思います。 それでも園庭で何か物を作るよりも前にやらなければいけないこと。 子どもと生活を共にする大人の存在意義をプロとして自分たちなりに考え、それを話し合い、改めて学びとして吸収し、実践していく大人の姿が見て取れる環境 「主体的」で「対話的」で「深い学び」を実践しているモデルとしての大人の存在があちこちで見受けられる環境である事。 園庭作りの前の「大切な一歩」をぜひご一緒させてください。 次のステップとして そのまま、コト葉LAB.に設計をお任せいただく事はもちろんのこと、ここまでのプランニング&コンサルタントだけでも大丈夫です。 まずは、お気軽にご相談ください。 年賀状2025-01-01 2025年は1月6日より始動いたします。 本年もどうぞ宜しくお願いいたします。 IMG_6500(大)先日、2017年に弊社で園庭のデザインを担当させて頂いた園に久しぶりに伺わせていただきました。 以前の園庭から7年が経ち、先生方の意識と共に保育が変わり、当時植えた木々も成長し、林の様になった園庭を前にしながら、現場の先生と立ち話をする中で、この園庭となった事での「環境がもたらす育み」についてのエピソードが、めちゃくちゃ私にとっては良い学びになりました。 それまでの園庭は、ほぼ真っ平らな状況だったのですが、 P1040964(大) スクリーンショット 2024-12-04 9.51.58(大)               園庭改修を期に先生方の子どもの頃の話やこんな環境にしたいと言う想いなどの意見を聞きながら、意図的な起伏や立体的な環境づくりを随所に取り入れると同時に、自然環境も多く取り入れ、あたかも林の中にいる様な遊び環境となっています。 IMG_0124 これまでとは環境が変わり、子どもの遊び方が変わり、保育の仕方が変わり、暮らしが変わり、やがて保育者も子どもも、それぞれに環境に慣れ、適応力が育まれ、月日とともに保育がしなやかになっていき、7年と言う月日が経った現在となり、この環境だからこそ、子どもの育みを随所で感じられると… その話全てが、ほんとはここでも全て書き記して行きたい内容のお話ばかりだったのですが、、 最近、色々な園でもよく聞く「発語の遅れ」気味の子の話を一部… まず、発語が遅れ気味の子はどの園でもいるとは思います。この園にも、当時、他の子よりは明らかに発語が遅れていた子がいて、初めて発した言葉が「ハッパ」だったとの事。彼の中では「ハッパ」と発している言葉は「葉っぱ」である事には間違いないのだけど、彼が好きなのは黄色い「ハッパ」であり、他の葉っぱとは意味あいが違う「ハッパ♫」であって、それでも発語上では「ハッパ」であって…そうでありながらも、この子が発している「ハッパ」には、「木の枝についている葉っぱ」や「地面に落ちている葉っぱ」といった様に、それぞれに違いがあり、それぞれ違う事を表す為の「ハッパ!」や「ハッパ♫」「ハッパ〜」と言う意思表示にも違いがあって、「ハッパ」と言う同じ発声の言葉であっても、一つとして同じモノはない事をしっかりと不思議がり、じっくりと観察して、身体の中で経験として宿し、彼の中ではしっかりその違いを表現していて…P1100489(大)そんな姿を見守りながら、彼自身が今ちゃんと育っている事に気づき彼の傍らで感じ取れると言う上でも、今この園庭環境があればこそだと思うと…現場の先生は言ってくださるのですが、、 発語は単なる「ハッパ」かもしれないけれど、そのニュアンスの違いを彼の傍らで、それをわかっている大人がちゃんと居るっていう事がこの園の環境としての豊かさでもある様に私は思うのです。 これまで他園でも発語の遅れのある子の話は聞いてきたし、実際に子育て中に不安を抱えながら子育てしている家庭にも多々出会ってきた中で、私は「たぶん…それでも子どもは育つ力を元々持っているものだから、大丈夫!、、」と、根拠はないながら勇気づけたりもしてきたのだけれども、、 今回この話を現場の先生から聞き、具体例とともに何かを掴んだ気にもなり、自分自身にも勇気を貰えたような気持ちになったのでした。 P1100477(大)「やっぱり幼児期に必要なのは環境よね!」 更にあえて付け加えて言うのであれば、、「人を含めた環境よね!」と、 時間が経ったこの園庭を見ながら、思った次第でした。 IMG_9452(大)   あいにくの雨予報でしたが、雨仕様のバザーは今回初めて経験しました。 テントを貼り巡らし、階段にも簡易的な雨避けを作りと、こう言う事前準備がやっぱり流石だと思わざるを得ませんでした。IMG_6176(大)… 実は、前回、お伺いさせていただいた際に、現場の先生方から保育環境について色々なアドバイスをいただきました。 IMG_4389 「もし、自分が子どもだったらどう思うのか?」ということを先ず何よりの大前提とした上で、「今、目の前の子どもの生活」を、とにかくしっかりと“見る”事の大切さや、大人目線での合理性が優先されるのではなく、「子ども視点からの(子どもの生活からくる)合理性を考えること。」更には「今年のこの子たちのこうありたいを理解した環境設定の在り方」などなど。 IMG_4385 とにもかくにも、一番大切なのは、子どもを「見る」という事を実践すること。そして、大人はそれに合わすべき事。 …そんな事を又改めて教わった様に思います。 IMG_4392 毎日の生活の中で、知らず知らずのうちに大人の側の視点になりがちになる事柄を「気づき」として、明らかにさせて行く事がボクたちの役割であるのかもしれない。そんな勇気をもらえた日でもありました。 IMG_4384 カタチヅクリとしての設計を逸脱した、保育環境の「物」、「人」、「事」をポジティブに横断する「設計の在り方」と言うべきか?「設計」領域を逸脱してもなお、設計足らしめる新しい「設計」の在り方の模索を考えるきっかけを頂いた一日であった様にも思います。
株式会社 八清 さん主催の町屋リノベーション
アイデアコンペで八清特別賞をいただきました!
【コンセプト】
町「家」から、町「床」へ…
町家が培ってきた「町としての豊かさ」を現代の生活環境の中で再解釈し、「家」の在り方を細分的に捉え「要素」に焦点を当てた。
家主の居ない時間の空間を、町の共有要素として有効に活用する事で、新しい町のウェルビーイングな関係性を生み出す。
【ストーリー】
50歳男性、一人暮らし、平日の朝八時から夕方六時の間、家主は家に居ない。
この間のこの空間は実にもったいない…と常々考えていた。
世間では、街に子ども達の居場所がなくなっていると聞く。
しかも夏場は益々暑くなる一方で、あまりの暑さで公園でも遊んでいられない様だ。
町家に住む家主が、今、町の為に出来る事は何かないものか?と真剣に考えた。
…結果、平日昼間の空間を、近隣に住む子どもの為の居場所として開放することを思いついた。
町の為の「床」であり、時にはテーブルとして…小さな公園の様な役割を果たす。
とはいえ、いくら家を開放するとは言っても、やはり生活貴重品を置いておく場所であったり、使って欲しくない場所もある。
そこで、今回のリフォームにより、収納棚を介して南北二つに空間を分け、西側は生活品を置いておく為のストックルームとして、東側は平日昼間の公園の様な位置づけとして「床」を開放する事とした。
床の高さは450mmとし、この床下には家主の布団などが仕舞われる。
この床の高さは、幼児程度の年齢児からしてみればテーブルの高さとなり、大人からしてみれば椅子の高さとなる。
この床を町の子育てに活用してもらおうと考えたリフォームである。
朝八時、家主の出勤時に東側の空間を開放し、夕方六時に家主の帰宅とともに生活空間として家主に返す事がこの空間のルールとなる。もちろんこの部屋を使って帰る際には、ちゃんと掃除をして帰る事。それ以外のルールはない。(夕飯を作り置いてくれたり、お米や野菜を置いて行ってくれる事は、、家主は大大歓迎であるそうだ。)
電気はソーラー対応の照明だけは点灯させておく。その他は、家主と都度話し合いによって決める…と。
「町家」が「町の床」として、床を通じて町を豊かな関係へと導いていく為のエレメントとして機能する。
(…という内容で、夏休みの宿題ならぬ、休みボケしない為の鍛錬機会として応募させていただいたものでした。わーい♫)
 町床
今、第一線で活躍されている建築家然りデザイナー然り音楽家然り、創造的な活動をしている人は、大概にして小さい頃から、普段の暮らしの中で美しいものであったり、いわゆる本物が身近にある暮らしを経験して、それが原風景・原体験としての教材となった「現在」として育ってきている方が多い様にも思うのです。 そう考えると、幼稚園でも保育園でも、眼に映る環境であったり、或いは、感じ取る環境の全てに対して、とてもセンシティブでないといけないと思うのです。 (…と言う、私の勝手な提言です。) これは置かれている物や空間然りなのですが、大人の「姿」も又、小さき人にとって、とてもとても重要な教材となっている…そう考えると今の大人の姿が彼らにとってどう映っているのか?人としての魅力がそこに表れて、小さき人が憧れるような暮らし方が出来ているのか? 必ずしも、いつもニコニコと笑顔な暮らしでなくても良いと思うのです。 今を真剣に真摯に生きていたり、熱量を持って生きていたり、或いは何か人としての魅力的な生き方が表れていたり、豊かさのあり方を知っていて、小さな事にも手間を惜しまず生きている姿があり、その姿が格好良く見える大人の姿であったり… そんな姿に引っ張られて、小さき人が真似をする様な、そんな人が保育者であって欲しいと思うのですよね。 (仮に、仕事だからとしても、毎日何かを半分諦めてしまっているような大人に保育されていては、眼も心も育まれてはいかないと思うのです。) あ、ちょっと話が脱線しているかもしれませんね、、 何を言いたいかと言うと、 「小さき人は暮らしを見て、色々な事を感じ取っている」 … と言う事で、色々手間はかかるけど、物の置き方や空間然り、人の仕草や格好も然り、その全てが暮らしの中での教材である事を、ちょっとだけ意識して暮らしてみて欲しいなぁ〜 という園環境をデザインしている人間の戯言でした。 保育室内に特化した弊社事例集を新しく作成しました。 今回は部数に限りがあります為、幼稚園・保育園・こども園限定でお送りさせていただきます。 ご希望の方がいらっしゃいましたら、お問い合わせフォームより「保育室をデザインする」資料希望と明記の上、園名/お送り先住所/担当者様をお知らせください。
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